修学旅行三日目。
朝に松島を出て平泉に到着すると、全員で中尊寺を見学する。
そのまま昼食をとると、午後からはグループ行動になるため、悠大が祥子に話しかける機会となると、グループ行動が始まるまでの短い時間だけしかなかった。
入那と友羽は相変わらず、たまに心配そうな目を向ける入那に、友羽は気が付いているのかいないのか、一度だけ入那の方を見て視線がぶつかり、はっとしていたけれどそれ以外はよく言って興味無し、悪く言えば存在すら忘却の彼方へ放り投げたような態度のまま。その間に挟まれている明日香の顔が時間とともに暗くなっていくのが面白かった、などと正直に言えばスリッパどころか、初日に真人が買って何かというと取りだして振り回して遊んでいたものを、「鬱陶しい」の一言で明日香が没収した鉄扇が飛んできそうだったので黙ってはいたが、時間が経つと共に「何やってんのよ、早く行け」というプレッシャーが高まるのは感じていたので、何も言わなくても結果としては大差無かったかもしれない。
それは昼食に出た弁当も大体片づいて、めいめいに仲の良いグループで集まったり、班が揃って打ち合わせをしていたりといった時間だった。
悠大は祥子の姿を探して昼食の会場となった観光会館の二階をうろうろしていると、腕を掴まれて引っ張られていた。
「ちょっと高梨、どこ行くの。そろそろ集合時間じゃない」
「あ、用事があってさ。先行っててく...ってうわっ！！」
振り返って思わず飛びすさり手を振り解こうとして失敗した。自分の腕の先にいる、不満を隠さない顔の入那。
「しっつれいな奴ね。なに人の顔見て驚いてんのよ。いいからとっとと来なさい。予定話し合うんだから」
「あ～...悪いけど先行っててくれよ。話し合いはおれ抜きでいいからさ」
「却下」
ぶすっとした表情が裏返ったように眩しい笑顔になる。経験と照らし合わせた結果、悠大にはどちらかと言えば不吉な予感を覚える類の笑顔だったが。
「腕掴まれているうちに言うこと聞いた方がいいよ？次は耳にいくから。それとも髪の毛の方がいい？」
入那のこわいところは、これが大概脅しでもなんでもなく本気で言っているところだ。現に、悠大の腕を掴んでいる右手はそのままに、左手の方を軽く握ったり開いたりしている。あまつさえ、視線は悠大の耳の辺りと頭の方を往復もしていた。
「いや待て。いいからちょっと待て。こっちはこっちで大事な用なんだ。例えて言えばこの先安寧な中学校生活を送れるかどうかの瀬戸際かもしれない感じの」
「例えになってない。無理に面白いこと言わなくてもいい。日本語は正しく使え。あと団体行動乱すな」
「面白いとか面白くないとかじゃなくて、冗談抜きで重要なんだってば。こっちの立場も考えてくれよ、頼むからさあ」
「あーもー、わけ分かんない。具体的に言ってよ、どんな用事なのか。別にあたしだって事と次第によっては見逃してもいいし」
それが言えたら苦労はしない、という顔つきのつもりで入那の顔をじっと見つめたが、堪えきれずに自分から目を逸らしてしまえば世話は無い。むしろ余計な疑念を誘っただけで、すっと目を細めた入那が更に糾弾する構えを見せた時に、助けが入った。
「ちょっとー高梨君早く行ってよ。時間来ちゃうじゃない」
「ああそうそう。早く行かないと時間来るし。って、何が？」
あんたはアホか、という目で明日香に見られた。昨晩から悠大は思わずにはいられなかったが、同じクラスの中では結構同じ場にいることの多い明日香は、どうにも最初の印象と違って、思いこみと勢いに後押しされたお節介を全力で振りかざす結構なお人好しであるらしい。最初の印象がどうだったのか、ということで言えばぽえぽえした雰囲気で周囲を和ます癒し系のお人好しだったが。
「あのね国東さん。さっき今日の自由行動の件でプリント配るから班から一人ずつ集まるようにって言われてたんだよ。高梨君だけさっさとお昼食べちゃったみたいだからお願いしたの」
「あ、そうなんだ。それならそうと言えばいーのに。ほんっと高梨の話は要領が悪くて困るわ。ほーれほれ、さっさと行ってきなさいよ。待っててあげるから」
よくもまあとっさにそんな出任せをぶち上げられるもんだと感心すると同時に、悠大の態度について突っ込んでこない入那の大雑把さにも感謝する。
そんな失礼な風に思われているとは想像もしていないのだろう、もう興味を無くしたとばかりに悠大に背を向けて、今やっと弁当箱に蓋をしていた友羽のところに向かう入那と、それでもやっぱり余所余所しい友羽の姿を見て、喉の奥に軋みを覚えていた。
さて、と、ようやく機会が訪れたとはいっても全学年が同じ場所に集まった上にお昼時というタイミングで余計に賑やかな中、一人を捜そうというのは面倒な話ではあった。
ただし捜索対象が「生徒会長」という有名人であれば、幾人かに聞くだけで目撃情報は集まり、居場所を特定するのは難しいことでもない。
そうして見つけるのに一分もかからず、集合時間にはまだ多少の余裕があることを壁時計で確認すると、さほど楽しそうでもなくむしろ義務的に、同じ生徒会の役員だかなんだか悠大にはあまり交流の無さそうな面子と話をしていた祥子に声をかけた。
来意については曖昧にしか告げられなかったものの、予想に反して、あるいは渡りに船だったのか、拍子抜けするくらいにあっさりと悠大の誘いにのってきて、周りにいたいかにもな一同の止めたそうな様子を振り切り、相変わらず賑やかな部屋を後にして、誰も寄りつきそうもない、廊下の一番奥にある非常口の前にさっさと向かった。
そこはちょうど廊下の角の陰になっているために誰からも見られる心配は無さそうで、どうして一時間ほど前に着いたばかりなのにこんな場所を知っているのかと訝しんだ悠大がその事を問うと、
「え？来る前に非常口の場所を確認しただけだけだから。パンフレットが配られていたでしょう？そこに建物の地図が書かれていたから、すぐ分かると思うけれど」
などと言う祥子の様子は特に見下すようでも偉ぶる風でもなく、加えて、何かあった時にみんなを誘導できるから、と自然に言われてしまえばこういうのが頭に立つ立場にいる生徒の、「特別」なところなのかと感心するしかなかった。
「で、話って何なの？あまり時間もないから手短にね」
少し焦れたように言ったのは、悠大が思っていたよりも長く黙ってしまっていたせいかもしれない。機嫌は悪そうではないものの、神経質さは感じないが厳しい性格なのだろうと思わせる吊り目を片側だけ、更にはね上げて問いかける様子は心持ち悠大の腰を引かせるのには十分だった。
だから慎重に、言葉を選びながら口を開く。
「んー...根が深い問題だったら今すぐに答えてもらわなくてもいいんだけどさ。あ、余計なこと言っているっていう自覚はあるよ。でも、見てるだけじゃ気が収まらないっていうか、要するに...周りがなんか変な雰囲気だってのは気持ち良くないじゃん。そういうのをすっきりさせたいっていうか...」
「.........」
「つまりその...女子の間であったことを聞くのは、いや別に変な下心で聞いているわけじゃないんだ。だから、だからっつうか、困ったな...おれ何言ってるんだ？とにかく、でも、言いたいこと分かってもらえただろうか？」
「分かるわけないでしょう」
「...だよなぁ」
我ながら意味が不明過ぎた。実感して嘆息する。
話しやすい相手だとは思わないが、それにしてもさほど親しくもない人に睨まれながら話をするとここまであがるとは思わなかった。
「言いたいことは分からないけれど、何を気にしているのかは察しがつくわ。仁村さんと国東さんのことでしょう？」
「え...？確かにその通りだけど、何で？」
思わずほっとする。
「分かるのかって？あなたたちの班が昨日からどうなっているのか見れば誰でも分かると思うけれど。それとも他のこと？」
「いや。で、なら話が早い。その原因を教えて欲しいんだ」
非常扉を背中にしていた祥子が一歩後ずさっていた。端から見たら迫っているようにも見えかねない悠大をちょっと待てと左手の平を向けて止める。右手の方は人差し指を立ててしばしこめかみにあて、眉間にシワを、数が数えられそうなほどはっきりと浮かばせている。
「ちょっと質問いい？」
そのままの体勢で、低い声。それが当然のように、悠大の返事を待たずに言葉を継ぐ。
「なんで、私が、仁村さんたちの空気が怪しい原因とやらを、知っていると思うわけ？」
「なんでって...ああ、そうそう椎木に聞いたんだけど、なんか国東と昨夜だっけ、ああ一昨日の夜か、ちょっとバトったとかなんとか。それから喧嘩になってるらしいからそれじゃないかとかなんとか」
「それ、誰が言ってた？」
「それ、というとどのこと？」
「私と国東さんの言い合いが原因じゃないのか、ってこと」
「ああ、それなら久我原」
「あいつか。なら問題無いか」
「問題？」
「こっちの話」
ふう、と肩を下ろしてため息をついていた。それが、安堵したというよりは眠りから覚めて状況を確認しているかのように見えた。
しかしよく考えたら、自分の尋ねた事に答えを貰っていない。さっさと自分だけ何かを解決してしまってそれで終いにされたのでは立つ瀬の有無以前に、特に明日香にどんな目を向けられるか知れたものではない。
普段はのほほんとしているくせに、妙に今回だけは我も押しも強くて容易なことでは納得しそうもない明日香の姿を頭に浮かべながら、時間を気にしつつも悠大は問いを続けた。
「で、さ。何か心当たりある？」
ああ、と考え事の重みに傾いだ首を立て直した祥子が、そういえば的に悠大に向き直る。わざとらしい、と思わないでもなかったのだが、その為人をよく知ってもいないのでそれが素なのかもしれない、と判断は一応保留にする。
「まあ、その二人の間のことは分からないわね。去年仁村さんとは同じクラスだったから、それなりには知っているけれど、国東さんのことは一昨日ちょっと話したのが初めて...でもないけど、そんな込み入った話したこともないから。私が二人についてして言えることなんてこの程度だけよ。参考になる？」
「ならない。けど、一応、ありがとう。そろそろ時間だし、戻るよ」
右手を軽く振って、先に悠大は立ち去った。
角を曲がってその姿が見えなくなる。
「わっかんないかなあ...って、聞かれても教えるわけないけどね。教えられるわけ、ないし。あんなこと」
それが、一昨日見かけた友羽のことだったのか、それとも自身が抱く、外に向けた感慨のことなのかも不分別ではあった。
そして祥子が微妙な言い回しに隠した意図を悠大が気が付かなかったのか、もしくは気付いて何も言わなかったのか。それとも祥子が自分で思う程に小芝居が上手くいっていなかっただけなのか。いろいろなことが、まだ分からなかった。
続く